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公共の福祉と違憲審査基準について1
- 1 :氏名黙秘:2006/07/09(日) 01:02:56 ID:???
- 公共の福祉と違憲審査基準について語るスレッドです。
- 762 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 16:00:19 ID:???
- 芦部は表現の自由を厳格に審査する理由として@民主政A審査能力を挙げているが、
一方で、経済的自由権を合理性の基準でやることについては、審査能力が劣るからという理由付けをしていない。
何故こんなことになるかというと、芦部の唱える二重の基準は、
表現の自由は@(必要性)A(許容性)なので厳格に審査すべき、というものに過ぎず、
経済的自由権を緩やかに審査しようというものでないから。審査能力は「表現の自由を厳格審査する許容性」に過ぎない。
(芦部は表現の自由に対する政策的制約を認めないため、政策判断はいらない、ってことになる。
芦部憲法の記述でも「政策の当否を判断する能力に乏しい」としていることに注目。」)
一方、判例は経済的自由の積極目的規制について
「政策判断は立法府の仕事だから」と基準を緩やかにして、
消極目的については厳格に審査している。
もし、審査能力ということを理由とするならば警察規制と積極目的規制とで
必要な審査能力はそんなに異なるのか?って話になる。
「わたし馬鹿だから」といって審査を緩やかにするのか
「それはあなたの仕事だから」といって審査を緩やかにするのか、ということ。
- 763 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 17:51:29 ID:???
- >>762
>芦部は表現の自由を厳格に審査する理由として@民主政A審査能力を挙げているが、
>一方で、経済的自由権を合理性の基準でやることについては、
>審査能力が劣るからという理由付けをしていない。
うーん、芦部の説明はこうなっているんだよね。
>経済的自由の規制については、社会・経済政策の問題が関係することが多く、
>政策の当否について審査する能力に乏しい裁判所としては、
>とくに明白に違憲と認められないかぎり、立法府の判断を尊重する態度が望まれる。
>これに対して、精神的自由の規制については、裁判所の審査能力の問題は大きくない。
審査する能力に乏しいから明白の原則、つまり合理性の基準だと言っているように読めるが。
- 764 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 18:03:33 ID:???
- 芦部の消極目的規制と積極目的規制の説明は、以下の通り。
>消極目的規制とは、主として国民の生命および健康に対する危険を防止もしくは除去
>するために課せられる規制であり、通常、警察的規制と呼ばれてきたものである。
>積極目的規制とは、福祉国家の理念に基づいて、経済の調和のとれた発展を確保し、
>とくに社会的・経済的弱者を保護するためになされる規制であり、社会・経済政策
>の一環としてとられるきせいである(判例もそう解する)。
これなどを見ると、裁判所の審査能力に関する芦部の説明は、主として、積極目的規制を
念頭に置いているように読めます。そうだとすると、芦部は、消極目的規制に関しては、
裁判所の審査能力を、どちらかと言えば、肯定的に捉えていたのではないでしょうか?
- 765 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 18:07:21 ID:???
- >>762
>もし、審査能力ということを理由とするならば警察規制と積極目的規制とで
>必要な審査能力はそんなに異なるのか?って話になる。
上記の芦部の記述から、芦部は異なると考えている、と読み込むのが妥当ではないだろうか。
- 766 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 18:11:18 ID:???
- 辰巳の新試再現集のAさん(公法系160点)の答案では、
宗教的行為の自由の規制について、合理的関連性の基準に依るべきだと書いて
いますが、その根拠として、@政策的判断+裁量、とA内容中立規制の2つを
挙げています。
注目すべきは、@です。
- 767 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 18:53:24 ID:???
- ん?審査能力ないから基準を緩める式の論証は、辰巳の荒木と北出が説明したお。
- 768 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 19:31:17 ID:???
- >>763
ポイントは二重の基準はアメリカ由来の議論だってこと。
アメリカではニューディール政策に対する違憲判決を出しまくってたら
ルーズベルトにボコボコにされたんで、「調子に乗りすぎました、ごめんなさい。
…でも、こっちにも面子があるから精神的自由権とかだけは厳格にやるね」ということで二重の基準が出てきた。
>その次に、違憲審査権が息を吹き返すのは、19世紀末から二〇世紀初頭にかけての時期です。
>そのころ、各州では大企業の専制から国民の自由を実質的に確保するため、
>今日で言えば社会法や経済法の分野に属する立法を始めていました。
>連邦裁判所は、そうした一連の立法を、自由主義に反するものとして違憲とする判決を次々に下したのです。
>その傾向は、大恐慌に対処するためのニューディール政策に基づく立法で、最高潮に達します。
>一九三五年一月から翌年の五月までのわずか一七ヶ月の間に、なんと一二の連邦法を違憲として、
>ニューディール政策を崩壊の危機に追い込みます。
> しかし、激怒したルーズベルトが、裁判所法を改正して最高裁判所を意のままにしようと画策したのに驚いて、
>あわてて最高裁判所が態度を改めた結果、その後の最高裁判所はルーズベルトコートと呼ばれるまでになります。
>経済立法については司法消極主義、精神的自由に関する立法では司法積極主義という、
>いわゆる「二重の基準」は、このルーズベルトによる「憲法革命」の結果として発生し、定着していったのです。
>http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/zuiso/iken.htm
「審査能力」ってのはこの文脈で使われる。「審査能力に問題ないよ」って。
だから、「審査能力」が低いから緩く審査するんだってのは違う。
上手く伝わらんかな…?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110409231
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110409231
- 769 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 19:53:57 ID:???
- でもさ、審査能力=国民に対する(政治?)責任負担能力だとすると、
精神的自由の規制に関しても審査能力はないってことじゃない???
司法権と民主主義の関係という論点に還元されてしまうよ。
さらに、仮に、審査能力=責任負担能力だとしてもだ、そういう定義を
しても、審査能力が低いからゆるく審査するだっていっても、別に論理的に
矛盾したりするわけじゃないんでない???
だって、ベースラインが合理性の基準でしょ?
だとすると、精神的自由の規制について、審査能力が乏しいからゆるく
審査することもありえるような気がする。具体例は今挙げられないけど、
論理的にありうるってことで。
- 770 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 19:56:55 ID:???
- 精神的自由についてはないって
審査能力はそんな決定的な要因にはなりえないから
そんなこと言い出したら裁判所の価値ないじゃん
- 771 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 20:19:05 ID:???
- >>769
そう。論理的にはありうる。
でも、それは二重の基準ではないし、最高裁の基準でもない。
それをやるときは、Jの能力はタイゾーより低い、
しかし、精神的自由については能力が高いのだって論証する必要がある。
- 772 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 20:36:14 ID:???
- 結局、審査能力ってのは付加的な理由付けであって、
これを本質的な理由にすることはできないのね。
アメリカ型の二重の基準で行くなら
精神的自由→民主政+審査能力問題なし→厳しく
経済的自由→立法府の合憲性推定→緩やか
日本の判例でやるなら
精神的自由→民主政(北方ジャーナル事件)→厳しく
経済的自由→消極目的→厳しく
積極目的→政策判断は立法府の仕事→明白性の原則
- 773 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 20:59:24 ID:???
- >>772
>経済的自由→消極目的→厳しく
この根拠は?
- 774 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:02:57 ID:???
- どうやら審査能力=責任負担能力という定式化自体に無理があったわけだな。
- 775 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:15:58 ID:???
- >>773
薬事法判決によると、
22条は人格的関連→許可制→消極目的ならLRAとしているが
はっきりとした根拠を挙げていない。
考えられる理由としては政策的考慮が必要ないってことだろう。
>>774
俺もそれはどうかと思う。
しかしながら、Jの調査能力とかではないのは確か。
英文の原典をあたればわかるんだろうけれど
芦部がどういうつもりでいっていたのかわからん。
ちなみに演習憲法では「相対的な問題で、
これだけでは厳格審査の決定的な理由にならない」としている。
- 776 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:17:24 ID:???
- もう判例も経済的自由権について二分論は維持してないと思われる
- 777 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:22:46 ID:???
- 戸波江二によると、
裁判所の審査能力との関係で、経済的自由の規制については、社会・経済
政策についての資料と判断能力を有する議会の判断を尊重し、裁判所は
違憲審査権の行使を控えるべきである。
となっている。234ページ。
ここの「資料と判断能力」からすると、調査能力という解釈も
あながちおかしくはない。
- 778 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:32:03 ID:???
- >>773
ポイントは、裁判所の審査能力という場合において、裁判所が審査するのは
規制の目的なのであるから、その点を踏まえて整理すると、
1 裁判所は、消極目的を審査する能力を、有している。
2 裁判所は、積極目的を審査する能力を、有していない。
ということになる。したがって、
精神的自由の規制=消極目的規制
→@民主政の過程に不可欠、A裁判所は消極目的の審査能力あり。
→厳格な審査基準
経済的自由の規制+消極目的規制
→@民主政の過程で回復可、A裁判所は消極目的の審査能力あり。
→厳格な合理性の基準
経済的自由の規制+積極目的規制
→@民主政の過程で回復可、A裁判所は積極目的の審査能力なし。
→合理性の基準
非常に上手く整理できますね。審査能力は重要ですよ。
- 779 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:35:59 ID:???
- 何か予備校本みたいだな
判例は違うよね
- 780 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:38:56 ID:???
- >>779
今は学説の整理に関して話が進んでいる。判例の整理に関しては別の話だろ。
しかも>>763-764の議論を前提にすると、>>778のような整理も十分に合理的。
- 781 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:41:05 ID:???
- いやすまん
Cブックにそのまま書いてあることと同じだったから
そういうのはあらためて議論しなくてもみんな知ってるんじゃないの
- 782 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:45:09 ID:???
- >>781
Cブックって、何?
みんな知ってるって、消極規制と積極規制を裁判所の審査能力の有無で
区別すること?
- 783 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:46:00 ID:???
- 二重の基準論と二分論を説明してるだけだよね
何か他に主張したいことがあるんじゃないのか?
昨日の人でしょ
今日は煽らないで議論してみようぜ
違ったらごめん
- 784 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:48:39 ID:???
- まあ、精神的自由の規制に、積極目的規制を肯定するならば、>>778は、
精神的自由の規制=消極目的規制
→@民主政の過程に不可欠、A裁判所は消極目的の審査能力あり。
→厳格な審査基準
精神的自由の規制+積極目的規制(放送法7条の合憲性など)
経済的自由の規制+消極目的規制
→@民主政の過程で回復可、A裁判所は消極目的の審査能力あり。
→厳格な合理性の基準
経済的自由の規制+積極目的規制
→@民主政の過程で回復可、A裁判所は積極目的の審査能力なし。
→合理性の基準
というように整理できる。
- 785 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:53:08 ID:???
- >>784を間違えた。正しくは、こう。
精神的自由の規制+積極目的規制(放送法7条の合憲性など)
→@民主政の過程に不可欠、A裁判所は積極目的の審査能力なし。
→厳格な合理性の基準
- 786 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:54:44 ID:???
- 学説で精神的自由に二分論的思考を使う説ってあるんですか?
- 787 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:55:08 ID:???
- 佐藤幸司によると
法律には合憲性の推定が働くから合理性の基準。
しかし、精神的自由は民主性の過程だから厳格に、
とされている。
- 788 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 21:58:40 ID:???
- >>786
ないはず。しかし棟居がもしかしたら言っているかもしれないが、未確認。
- 789 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 22:00:37 ID:???
- 判例は、精神的自由に対する積極目的規制がある、としている。
こうした議論ができるなら、えらく見通しが良くなるんだけど、
学説はほぼ反対している。
- 790 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 22:03:15 ID:???
- 判例も精神的自由権に二分論はないよね
経済的自由についても二分論を維持してないし
自分の見解としては目的二分論で審査基準を定立するのは厳しいと思う
- 791 :氏名黙秘:2007/12/02(日) 22:26:52 ID:???
- >>789
香城先生はそういう議論したけれど
どうもそっちにも与していないようなんだよね、判例は
>>766の答案なんかは政策的制約とやっていたけれど
アプローチとしては、一応宮澤を基本にしつつ、
選挙の公正とか在監者とかで特別に制約を認めている感じ
- 792 :氏名黙秘:2007/12/04(火) 12:53:52 ID:???
- 辰巳の読んだけどC市の反論としては
政策的判断があるから審査を緩くってのはありうると思う。
内在的制約といっても監獄の長の裁量のように、
直接市の状況を知るものでなければ適切な判断はできない、とか。
160点答案の特徴はこんなところか
・一般論薄め・あてはめ並・具体的検討厚い
設問1で3ページを割いて、
条例の法律適合性について
問題の具体的な摘示+主張(3行)→基準定立(2行)→あてはめ(1行)→基準定立(1行半)→あてはめ(3行半)
居住移転の自由に対して
具体的自由侵害の摘示+主張(3行半)→Bの人権享有主体性(4行)→審査基準の問題提起(1行半)→
憲法規定の趣旨(2行)→具体的自由の憲法上の位置付け(2行)→審査基準(1行)→あてはめ(3行半)→結論(1行)
萎縮効果論+あてはめ(4行半)
宗教的行為の自由について
具体的自由侵害の提示+主張(4行)→Bの人権共有主体性(2行)→審査基準の問題提起(2行半)
→憲法規定の趣旨(1行半)→審査基準(1行半)→あてはめ(10行半)
こうみると、68行ある中
一般論は問題提起と基準自体含めても10行ちょっとだな。
この辺に新司のコツがあるのかも
- 793 :氏名黙秘:2007/12/04(火) 20:58:47 ID:???
- 関係ある事実をいかに拾えるかだな
- 794 :スレ立てした人:2007/12/05(水) 02:37:42 ID:???
- このスレまだあったんですね。久々に来ました。一年ぶりです。
- 795 :氏名黙秘:2007/12/05(水) 20:52:38 ID:???
- 受かった?
- 796 :スレ立てした人:2007/12/06(木) 01:49:23 ID:???
- >>795
法科大学院でしたら受かりましたよ。新司法試験はこれからです。
お互いこれからも頑張りましょう!
- 797 :氏名黙秘:2007/12/06(木) 20:02:04 ID:???
- なら受験はまだまだ先だな
- 798 :氏名黙秘:2007/12/08(土) 00:20:02 ID:???
- あのさ、法律を合憲てした場合、実際の行政活動(行政処分等)の合憲性って、どうやって論じるの?
これらにも、目的手段審査って使っていいのかな?
行政法を勉強したせいで、裁量論との関係がよくわからなくなって。。
- 799 :氏名黙秘:2007/12/08(土) 14:15:00 ID:???
- 両方のアプローチがあり
裁量権を認めて審査を手控えるか
そのまま踏み込むかの違い
http://www.takagai.jp/catchaser/hanrei/scs580622m37-5-793.html
右の制限の程度は、右の障害発生の防止のために
必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である。(実体基準)
↓
裁量的判断にまつべき点が少なくないから、
障害発生の相当の蓋然性があるとした長の認定に合理的な根拠があり、
その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、
長の右措置は適法として是認すべきものと解するのが相当である。(審査基準)
- 800 :氏名黙秘:2007/12/08(土) 21:22:39 ID:???
- >>799
その実体基準と審査基準というのは、一体、どういう関係にあるのだろうか?
よど号事件判決をよく読んでみると、実体基準は、監獄法と監獄法施行規則
の合憲性の審査において定立された基準であり、審査基準は、拘置所長の
措置の違法性の審査において定立された基準であることが、分かる。
そして、言うところの実態基準と裁量権との関連は、判旨の上では、これを
見て取ることができないように思う。
- 801 :氏名黙秘:2007/12/08(土) 21:28:18 ID:???
- >>798
通常、法令が合憲だと判断された場合、当該法令に基づく処分は、合憲性
ではなく、違法性の判断を行うことになる。違法性の程度が著しい場合に
違憲性の問題が生じうるが、その場合は、違憲違法の問題だとされる。
よど号事件においても、拘置所長の措置の違法性が問題となっている。
ここまでは、誰でもが知っている。
- 802 :氏名黙秘:2007/12/08(土) 21:34:43 ID:???
- >>798
試験問題の解答を作成するという観点からすれば、問題文に、措置の違憲性
が窺われる事情がある場合に、法令の違憲性と措置の違憲性の二本立てで
論じることになる。だが、実際には、立法事実と判決事実の両面において
ともに合理性根拠を欠くような事案は想定しにくいと思うのだが。ともかく、
目的審査と手段審査を、法令審査と処分審査の両面で行うことになる。
なお、立法事実のみに合理的根拠を欠くような事案が出題された場合、
又は、判決事実のみに合理的根拠を欠くような事案が出題された場合は、
「当該法令に基づく措置の合憲性が問題となる」というように、法令と
処分を一括して論じてはいかがだろうか。
- 803 :798:2007/12/08(土) 23:31:48 ID:???
- >>799->>802
レスさんくす。
おれの疑問は、結局、>>801氏とほぼ同じになるわけさ。
処分が『違法』という概念は、当然理解できる。
ただ、それだけで終わらせると、『憲法学上の問題点について論ぜよ』との問に対する解答として適切なのか、とうい疑問が残る。
それって、個別の行政法規の解釈として違法であって、当然には『違法ゆえ違憲』とはならないわけだよね。
確かに、『違法かつ違憲』というのは観念できると思うが、その『違憲』というのがどのような場合かが、やはりよく分からない。
自分の個人的イメージとして、行政活動には、
@適法
A違法だが、合憲
B違法かつ違憲
というカテゴリーが考えうる。
行政法だと、@とAの区別さえすれば、解答としては十分だと思う。
しかし、憲法となると、やはり@AとBの区別が必要なんじゃないかと。
そうなると、行政法学上の裁量判断だけでは、個別法に反して違法とまでしかいえない気がして。
続きあり。
- 804 :798:2007/12/08(土) 23:55:16 ID:???
- ただ、行政活動が、『違法かつ違憲』ということができる例は、一応手近の例で存在する。
例えば、泉佐野事件。
これは、処分の根拠法規の構成要件を『合憲限定解釈』している。
この考えによると、当該構成要件から外れた処分は、違法であり違憲ともなりうる(実際の処分は適法だったが)。
ただ、断言はできないが、常識的に考えて当然な気がする。
問題は、合憲限定解釈を適用するのが適切か疑わしい場合。
泉佐野が合憲限定解釈したのは、やはり集会の自由の重要性からだと思うんだよね。
そうじゃない場合、例えば、演劇に対する何らかの助成(金銭給付等)をする法令があったとして、その構成要件『芸術的な価値が高いものに給付する』というような規定があった場合。
で、助成が拒否された場合。
これだと、『援助』というカテゴリーなので、若干合憲限定解釈はしずらいかなとも思う。
このように合憲限定解釈できないorしずらい場合にも、なお憲法上の問題点ってどうやったら論じれるのかな。
なお、合憲限定解釈には、権利の重要性とか関係ないという反論もあるかもしれません。
参考として、紳士のサンプルがいい材料だと思う。
あと、補足として、臼歯でも、ちょくちょく処分の憲法上の問題点について書かせるのが出てる。
例えば、当たらしめのものだと、
14‐1:図書館の事案(ただ、これは泉佐野のような処理方法で処理も可能な例だから、参考にならないかも)
12‐1:幼稚園の事案
11‐1:受刑者の事案
10‐1:公立高校生の宗教発表の事案(信教の自由の制約の場面)
8‐1:市民会館使用不許可の事案
その他多数あり。
ただ、最近は、なぜか法令の合憲性だけのものが多くなっている。
憲法学者が、行政法の勉強を少しやり始めたからだろうかw
- 805 :798:2007/12/08(土) 23:56:48 ID:???
- 訂正
>>799-802
レスさんくす。
- 806 :氏名黙秘:2007/12/09(日) 08:55:46 ID:???
- 刑法も刑訴法も、民法ですら判例を重視するお前らが
なんで憲法だけ判例をシカトして学説の規範の理解にいそしむのか、その理由がわからない
判例ベッタリでいいんですよ
それで点はきますよ
- 807 :氏名黙秘:2007/12/09(日) 13:56:52 ID:???
- 誰も判例シカトなんてしてない
- 808 :氏名黙秘:2007/12/12(水) 16:19:07 ID:???
- うんこ
- 809 :氏名黙秘:2007/12/20(木) 17:38:33 ID:???
- 4530
- 810 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 14:48:48 ID:???
- 0045
- 811 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 18:34:11 ID:???
- 何の暗号?
- 812 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 21:40:32 ID:???
- 新司法試験に対応するためには、
@どのような人権を制約する問題であろうと、
A一元的「外在」制約説に立脚して、
B厳格なまたは緩やかな審査基準を定立して、
C当てはめを充実させる
ことが不可欠だと思われる。
二重の基準の理論は、表現の自由の優越的地位を根拠付ける論拠の1つに
すぎないものだと考えるべきだろう。だから、表現の自由に優越する重要な
公共の利益が規制目的となっている場合には、合理的関連性の基準を果敢に
定立して当てはめていくべきだと考える。
審査基準は、厳格な審査基準、厳格な合理的の基準、合理的関連性の基準の
3つを基本的に定立することにする。人権の重要性を強調するならば、厳格な
審査基準、対抗する公共の利益の重要性を強調するならば、合理的関連性の
基準を定立してかまわない。従って、当てはめ・結論にも差異が生じる。
中大の内野教授の「憲法解釈の論理と体系」高乗正臣「人権保障の基本原則」
(成分堂)を読んで得られた非常に使い勝手のいい憲法論理だと感じた。
- 813 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 21:50:00 ID:???
- 内野って他者の利益とかいってるトンデモ学説の人だっけ?
- 814 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:06:00 ID:???
- 他者の利益と言っているかどうかは知らないが、最も判例の論理に
近い憲法学説なのではないだろうか。だいたい、判例は宮沢のいう
一元的内在制約説など採用してはいない。大部分は、外在制約説だ。
とにかくスッキリした。外在制約説に立脚すると、美観風致の維持
なども、公共の福祉の具体的な内容をなすから、美観風致の維持を
理由とする表現の自由の制約は、公共の福祉(13条)に基づく制約
ということになり、その制約が合理的かどうかを審査基準を定立して、
当てはめる形で論じていくことができる。本当にスッキリした。
- 815 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:08:14 ID:???
- 美観風致の維持を理由とする表現の自由の制約について、
芦部は議論を誤魔化しているよね。
- 816 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:12:38 ID:???
- >>814
その通り、スッキリとし過ぎて駄目なんよ。アレは
結局違憲審査がブラックボックスになってしまい
立法府の追認になって裁判所の職責を果たせないってこと
だから長谷部は切り札としての人権とか言ったり、
佐藤幸治は人格的自律とか強調したり
松井がプロセスプロセスとお経を唱えたりしているの
- 817 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:20:50 ID:???
- >>816
それは、分かっている。長谷部説は非常に魅力的だよ。力説を目の当たりに
するとなおさら。
でもその長谷部説でも、切り札としての人権であろうと、公共の福祉に基づく
人権であろうと、結局、あなたが言うようなブラックボックスを解消すること
に成功しているとは言えないと考える。
とするなら、ここは試験対策としてだな、判例の論理にあわせていいのでは
ないかと思う。内野説、高乗説(実は、美濃部達吉説・田上穣治説)が判例
を説明するのに、非常に好都合。例えば、天皇・皇族の人権(を認めるとして)
それを制約するのは、皇室制度の適正な維持は公共の福祉の内容をなす、と
ハッキリ断言している。あとは、例えば皇族の職業選択の自由と、皇室制度
の適正な維持の利益との、どちらを重視するのかを、審査基準を定立すれば
議論の枠組みは簡単にできる。
いいんじゃないの?w
- 818 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:24:32 ID:???
- 最初から解消することを放棄することと、
少しでも限界付けていこうとするのでは全く違うと思うが。
まあ、わかっているならやってみればw
- 819 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:26:57 ID:???
- >皇室制度の適正な維持は公共の福祉の内容をなす
その論証というか、基礎付けはね、平等の原則とか正当防衛の原則とか
民主主義の原則とか、いろいろ持ち出して議論する必要がある。
ともかく、高乗正臣「人権保障の基本原則」は痛快だった。こんな視点は
初めてだったな。正直驚いたし、今まで芦部説を「信じていた」だけだと
気がついた。
- 820 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:27:27 ID:???
- 美観風致の利益も公共の福祉って当たり前なんじゃないの?
他にどう考える理論があるんだ?
- 821 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:27:48 ID:???
- 結論的に外在的制約説に立つとしても、内在的制約を重視する多数説を批判しつつ
そこに至るまでの説明が難しすぎると思うけど、本当に答案に使えるかどうか。
>>816なんかは必要性だけで議論を進めそうだから・・・。
- 822 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:32:14 ID:???
- >>818
別に放棄はしていないと思うが。つまり、今までの憲法学説が乗り気でなかった
「公益概念の類型化」と「人権制約の正当化事由といえるための基礎付け」
を行っているから、人権の側ではなく、公益の側に立って、ブラックボックス
の解消を行おうとしているのです。読めば分かります。
なるほど、この本を読んで、田上穣治説が学会ではなく実務で受け入れられた
訳が少しだけ分かったような気がしましたね。
辰巳の講師の柳澤憲も判例の論理で憲法の答案を書くことを指導しているが、
どうも自分にはマネできなかった。正直言って。でも、もう出来るような
気がするw
それほど、衝撃的であったw
- 823 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:34:36 ID:???
- >>820
公共の福祉を人権相互の矛盾衝突を調整する実質的公平の原理と定義したら、
表現の自由と対抗する美観風致の維持もまた人権だといわないといけない。
そうでしょ?
しかし、これを人権に還元することはできない。そこで、芦部は上記の
公共の福祉の定義に従っているから、うやむやのままでしょ?
- 824 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:36:08 ID:???
- >>821
>内在的制約を重視する多数説を批判しつつ
答案のうえでは、そんなことしません。だって多数説ではあるけれど、
判例の立場じゃないから、無視無視。
それでいいと思う。だって、新司法試験なんだもんw
- 825 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:37:15 ID:???
- 答案に内在的とかその辺の議論を書く必要ないよね
- 826 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:40:37 ID:???
- >>824
そこまでチャレンジャーならもはやいうことなし
がんばって特攻してくれw
- 827 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:45:57 ID:???
- >>822
読んで言ってるんだよw
まあ、頑張ってみて。もし、>>822が受かって
答案が外在的制約説だらけになったら受けるな
>>821
俺じゃないだろw
- 828 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:46:32 ID:???
- >>826
どうも、どうもw
今年の新試の宗教的行為の自由の制約も、少なくとも、議論の枠組みは
作りやすいよ。原告の側、被告の側、どちらの主張もやりやすいよ。
基準も当てはめも結論も、まるで正反対の議論ができる。
新試1回目も同様に、枠組みは直ぐにできる。中身の充実は問題だがw
これで、香城敏麿の論文の趣旨もなんとなく見えてきたから、まあよし
とする。
- 829 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:49:20 ID:???
- >>827
ああ、読んでいたのですか。まあ、人権の原理を深化させてブラックボックス
の解消を図るということはしていないから、その意味では放棄とも言えるとは
認識していますよ。
でも別の井戸を掘って解消しようとしている立場もあるんだなーと実感した次第。
- 830 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:54:49 ID:???
- >>823
どうなんだろうね
美観風致についても人権と構成できないこともないんじゃない?
具体的権利とするのは無理でも
13条や25条で
まあ、そんなことは答案には書かないけどね
頭の中での理解の話として
- 831 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 22:57:22 ID:???
- >>830
そういう発想は人権の価値を
薄めることになるって内野とかは批判してるの
で、旧司の150点以上の答案見てると
「公共の福祉(13条)により制約される。違憲審査基準は…」
って公共の福祉の内容をぼかしているの多いのな
多分そういう採点慣行があるのだろう
- 832 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 23:01:18 ID:???
- いやそんなこと書かないのが普通だろ
今まで内在的とか外在的とか書いてたのか?
- 833 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 23:04:10 ID:???
- >>831
どういう意味で薄める?
安易に新たな人権を認めるなってことか?
具体的権利としない限りそんなに薄まらんのでは
- 834 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 23:04:21 ID:???
- >>832
公共の福祉の意義の芦部=宮沢説を書いたり、内在的制約と書いたりする答案は結構あるよ。
さすがに外在とは書かないが。
- 835 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 23:10:26 ID:???
- >>833
なんでもかんでも、制約原理としての人権を認めると、被制約側の
表現の自由を制約することが多くなるってことじゃない?
美観風致も人権だというなら、それだって最大限に保障されるべき
ものだし。
だから、表現の自由の価値が希薄化すると。違う?
- 836 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 23:15:59 ID:???
- >>835
制限の程度の問題として
判例のようにこの程度の制限なら許されるとすればいいのでは
表現の自由そのものが完全に制限されるわけじゃないだろって感じで
まあ学説から批判されるとこだけど
あと人権の中で順序があってもいいのでは
美観利益を人権と構成できるとしても表現の自由(政治的)よりは劣るとか
- 837 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 23:20:36 ID:???
- でもどうやって人権と構成するのだろうか?
それと西山記者事件ってあるけど、あれ、国家秘密の保持の利益は
人権と構成できるのだろうか?百選の事案を思い浮かべると、そう
簡単に人権とは言いにくいものがありそうだけど。
- 838 :氏名黙秘:2007/12/21(金) 23:33:05 ID:???
- >>837
美観利益は環境権的なものでしょうかね
判例が認めてないとかの指摘はなしね
抽象的権利としては分からないし、学説では色々だからね
国家秘密は難しいなあ
何らかの行政目的ってことは何らかの人権を守ろうとしてるんだと思うけどね
まあこじつけっぽくなるのは否めない
確かに単に公益といってしまえば簡単だ
- 839 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 00:04:02 ID:???
- 通説的な見解のポイントは公共の福祉で消化できない
対立利益を憲法から持ってくることなんだよね
選挙の公正とか監獄秩序とか
この考え方では必ず憲法に引き付けて書くことになる
それを「他者の利益」でいいんだー
後は公益を類型化していけばいいんだー
ってのはどうなのよ?ってのが俺の考え
醇風美俗を対立利益にしていいの?って感じ
- 840 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 00:22:00 ID:???
- 全地球的な通信情報傍受システム
主に赤道上に配置された商業通信衛星インテルサットの電波を地上で
受信し、地上波無線、短波無線や携帯電話などのあらゆる電波を傍受
している。さらにネット上では世界中のあらゆる電子メールとfaxを
インターセプトして自動分析にかけるシステムも出来上がっている。
その盗聴能力は1日30億回分の通信。世界の通信の90%の受信が
可能。受信基地は20箇所。わが国では青森三沢基地内
- 841 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 00:24:22 ID:???
- >>839
>公共の福祉で消化できない
>対立利益を憲法から持ってくることなんだよね
それで(憲法の規定から)説明できるからいいじゃんって思っちゃうけど
それから、公益の類型化というのは、公益の重要性の順序付けみたいなことでしょう
公益が重要なら制約できるってことは比較衡量で判断するってことと同じかと
それは一つの考え方として当然ありだろうけど、制約される権利側の重要性の程度は考慮しないんですかね
それを考慮するなら内在的制約説と同じようなもんだと思う
- 842 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 16:34:11 ID:???
- >>841
合憲性判定基準論とは、類型的利益衡量論をいう。個別的利益衡量に対する批判が比較の基準が不明確だ
というものなので、その基準を明確にしようとして定立されているのが審査基準。
判例は、公益の重要性と人権の重要性を比較衡量している。一元的内在制約説は、人権を制約できるのは
人権以外に存在しない、という考え方だから、公益を人権だと構成することが必要。そのうえで、比較の
基準を判例の集積に委ねている。ここで、公益を人権として構成できるのなら特に問題なし。ところが、
それがなかなか難しい。
高橋和之教授は、公共の福祉を人権と「人権又は重要な公益」との調整原理として定義する。しかしながら、
人権と重要な公益の調整と言い出すと、これは外在的制約になってしまう。だから高橋説にいう公共の福祉
は、内在制約と制限的な外在制約の二元説だ、ということになる。これを内在的制約というのは理解に苦しむ。
松井茂記教授は、@公共の福祉とは人権と公共の利益(=公益)の調整原理である、A内在的制約・外在的
制約という区別をしない、という。この立場は、明らかに内在制約と外在制約の二元説である。高橋説とは
異なり外在制約を限定することもない。
ある人権を保障するために、他者の人権を制限することを外在制約とするなら、一元的外在制約説になる。
- 843 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 16:36:52 ID:???
- >>839
>必ず憲法に引き付けて書くことになる
重要な公益ないし公共の利益が、憲法上の価値として、特定の条項により根拠付けられるのであれば、
人権という名の憲法価値と、公益という名の憲法価値との比較衡量が行われるから、それほどおかしな
議論にはならない。公務員関係の存在と自律性が憲法秩序の構成要素になっているというのは、公務員
関係の保護が憲法価値として認められているということでしょう。
しかし、判例をみれば分かるように、あるいは、香城敏麿氏の論文を読めば分かるように、憲法価値とは
言いにくい「法律上の利益」と人権との調整をも、現実には行っている。この場合は、どう考えるべき
なのでしょうかね?「憲法に引き付けて書く」ことが常にできるとは限らないのが、もどかしいところ。
- 844 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 16:46:46 ID:???
- >不許可処分の違憲性に関しては,安全・安心の確保と人権の保障との兼ね合いが問題となる。
第2回新司法試験公法系科目第1問の出題の趣旨の一節だが、安全・安心の確保を憲法上の価値
として位置づけるとするなら、これをどのように行うのだろうか?
端的に、安全・安心の確保は公共の福祉の具体的な内容をなす、と言うことができれば話は簡単。
あとは、宗教的行為の自由の重要性と安全・安心の確保の重要性を比較するわけだから。弁護士、
訟務検事のどちらの立場でも、立論自体は難しくなかろう。いずれにせよ、外在制約説ないしは
これに類する立場に他ならないと思う。
- 845 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 17:35:43 ID:???
- 31条と13条だな。
生命身体の安全確保は国家の任務とか書くだろう。
http://misc.jugem.jp/?image=26
香城ちゃんがやっていた議論は
森林法判決で最高裁自身に否定されたと聞いた記憶がある
- 846 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 20:57:59 ID:???
- 正直内在とか外在とかどーでもいいやん
- 847 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 21:01:40 ID:3vqrxtoa
- 学説は判例を説明すために存在するわけではない
判例を説明できないというのは批判として大きな意味を持たない
- 848 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 21:14:46 ID:???
- >>844
安全、安心を人権と捉えることは不可能じゃあるまい
- 849 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 21:44:45 ID:???
- >>845
芦部の本によると、公共の福祉とは、人権と人権の調整原理のことをいう。
とすると、国家の任務とするならば、それは公共の福祉による制約とは
いえないことになる。
ただ、31条は、この場合に限ってはいかがなものだろうか?
31条は、刑罰を科される犯罪者の人権保障を目的とする。しかし、
安全・安心の確保は、被害者側の人権保障が問題となっているの
ではないだろうか?そうすると、31条を、この場合に持ち出すのは
疑問である。
>>848
確かに不可能ではない。しかし難しい。
安全・安心の確保を、安全で、安心できる住環境のなかで生活する権利
と言い換えたうえで、これは13条によって保障されていると論証するの
だろうか?ちょっと考えてみたい。
- 850 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 21:48:16 ID:???
- >>849
31条は憲法は警察目的の政策をとることを
当然の前提としているということを表すために使う。
- 851 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 21:55:21 ID:???
- >>850
そうすると、
宗教的行為の自由という「精神的自由」は、
警察目的の「政策」によって制約できる、
ということですか???
- 852 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 22:03:54 ID:???
- 生命、身体の安全といえば憲法上当然に認められるのでは
- 853 :氏名黙秘:2007/12/22(土) 22:58:42 ID:???
- >>851
表現が悪かったかな?「政策」じゃなくて「規制手段」ね。
いわゆる消極目的規制にあたる。
- 854 :氏名黙秘:2007/12/24(月) 07:26:39 ID:???
- なるほど
- 855 :氏名黙秘:2007/12/26(水) 20:28:12 ID:???
- 乙
- 856 :氏名黙秘:2007/12/28(金) 21:02:20 ID:???
- >>812
内在も外在もとらえ方の違いだけで試験的には殆ど変わらんよ
- 857 :氏名黙秘:2007/12/28(金) 21:04:27 ID:???
- >>822
お前高橋立憲主義読んでみろよ
一つの斬新な答えがある
- 858 :氏名黙秘:2007/12/29(土) 00:36:47 ID:???
- >>857
高橋憲法を読んだが、田上憲法・高乗正臣基本原則には適わない。
田上・高乗ほどの割り切りがないからね。
高橋憲法の公共の福祉論やベースラインとしての通常審査などは、
それほど斬新ではない。というのは、高橋の公共の福祉論は、本当は
外在制約容認論だし、通常審査論は理論的根拠がない。
例えば、猥褻規制である、刑法175条の合憲性を論じる際に、その
立法目的をどう考えるのか?判例・田上・高乗らと、その他の憲法学者
とでは、どちらが腑に落ちるだろうか?
そもそも利益衡量をするには、同じ程度の重要性を有する法益を衡量
しなければならないというテーゼがいわれているが、
@対立法益がなぜ同じ程度だと言えるのか?その根拠を明らかにできるか?
A現実問題として個人法益と社会・国家法益を衡量せざるをえないのに、
仮に社会・国家法益を人権に還元したとして、それにどれだけの実践的意義
があるのか?
という疑問がある。高橋憲法ではこれらの疑問に答えられない。
- 859 :氏名黙秘:2007/12/29(土) 00:40:00 ID:???
- >>857
理解しないで発言するなよなw
高橋は被選挙権についてどう考えてる?
- 860 :氏名黙秘:2007/12/29(土) 00:54:29 ID:???
- >>857
では、その斬新な答えとやらを教えてもらおうか!
- 861 :氏名黙秘:2007/12/29(土) 11:59:51 ID:???
- バカがわめいてるなw
切り返し質問って頭悪い奴が向きになったときの典型的発作w
- 862 :氏名黙秘:2007/12/29(土) 12:34:21 ID:???
- 858がマトモだね
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